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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)1846号 判決 1984年6月05日

原告

冨岡福一

右訴訟代理人弁護士

戸田謙

岩倉哲二

被告

扶桑電機工業株式会社

右代表者代表取締役

豊田三達

被告

東欧電機株式会社

右代表者代表取締役

豊田三達

被告両名訴訟代理人弁護士

城山忠人

主文

1  被告扶桑電機工業株式会社は、原告に対して、金六七二万三〇〇〇円を支払え。

2  原告の被告扶桑電機工業株式会社に対するその余の請求及び被告東欧電機株式会社に対する請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、原告と被告扶桑電機工業株式会社との間においては、原告に生じた費用を五分し、その一を被告扶桑電機工業株式会社の負担とし、その余は各自の負担とし、原告と被告東欧電機株式会社との間においては、全部原告の負担とする。

4  この判決の主文第一項は原告が金二〇〇万円の担保をたてることを条件に仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

1  被告扶桑電機工業株式会社(以下「被告扶桑電機」という。)は原告に対し金四一二七万一五〇三円を支払え。

2  被告東欧電機株式会社(以下「被告東欧電機」という。)は原告に対し金九九七万二〇〇〇円を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決及び仮執行の宣言を求める。

二  被告ら

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告の経歴

(一) 原告は、昭和一二年三月一五日松下電器産業株式会社(以下「松下電器」という。)へ入社し、経理課員として経理事務を担当したが、昭和二二年一二月二五日、同社の真空工業所品川工場へ勤務し、経理責任者となった。

(二) 昭和二五年一月三一日右品川工場が閉鎖され、同工場の営業及び従業員の一切が亀山武雄の経営する扶桑電球製造所に引き継がれたのに伴い、原告は、同所へ入所し、経理課長となった。

(三) 扶桑電球製造所の経営者亀山武雄は、昭和二八年一月六日、扶桑電機株式会社を設立し、原告は取締役に就任した。同社は昭和三一年一二月に扶桑電機工業株式会社(これが被告扶桑電機である。)と商号変更した。原告は、同社において、設立当初は経理課長、昭和二八年一〇月からは照明器具の営業部長を兼ね、昭和三三年からは総務部長、昭和三八年からは電球製造部長をも兼ねた。

昭和四六年六月、同社の代表取締役亀山武雄の死亡後、原告は同年六月一二日代表取締役に就任し、昭和五四年九月二一日に辞任した。

(四) 被告東欧電機は昭和二六年二月一七日に設立されたが、原告は、同社設立と同時に取締役に就任し、あわせて経理担当の従業員となった。そして、昭和四六年六月、同社の代表取締役亀山武雄の死亡後、原告は、同年六月一二日代表取締役に就任し、昭和五四年九月二五日に辞任した。

2  被告扶桑電機に対する取締役退職慰労金請求

(一) 原告の取締役としての勤務の期間

原告は、前記のように昭和二八年一月から昭和五四年九月まで二六年余の間、被告扶桑電機の取締役として勤務した。

(二) 被告扶桑電機の役員退職慰労金規定

被告扶桑電機は、昭和四九年四月二四日開催した取締役会において、役員の在職年数に応じて一定の割合による退職年金を支給する旨の役員退職慰労金規定を定め、その支払を確保するため千代田生命保険相互会社と企業年金保険契約を締結した。右規定によると、原告のように二六年余勤務して退職した場合には、退職時の基本給九〇万五〇〇〇円に勤続二六年(一年未満の端数切捨て)の支給率〇・二三八及び年金支給期間一〇年(一二〇か月)を乗じた金額すなわち、二五八四万六八〇〇円の退職慰労金を受領する権利がある。

(三) 被告扶桑電機の役員退職慰労金規定は、前記のように取締役会で決議されたものであるが、右取締役会の出席者は同時に被告扶桑電機の当時の株主の全員であり、かつ、当時被告扶桑電機の株主総会が開催されたことは一度もなかったから、右取締役会は同時に株主総会の実質を備えていたということができる。従って、右の役員退職慰労金規定による退職慰労金の支給については、商法二六九条に定める株式会社の決議があったものと解すべきである。

(四) 更に、被告扶桑電機の大株主である豊田三達は原告に対し、退職慰労金を支払う旨誤信させて、原告に同社の代表取締役を辞任させたうえ、原告が辞任直後に千代田生命保険相互会社との企業年金保険契約を解除し、その後の定時株主総会において原告に対し役員退職慰労金を支払わない旨の決議をさせたものであって、被告扶桑電機のような形は株式会社でも実質は個人企業にすぎない会社が、商法二六九条に定める株主総会の決議がないことを理由に退職慰労金の支払をしないのは、信義則に違反し許されない。

3  被告東欧電機に対する取締役退職慰労金請求

(一) 原告の取締役としての勤務の期間

原告は、前記のように昭和二六年二月から昭和五四年九月まで二八年余の間、被告東欧電機の取締役として勤務した。

(二) 被告東欧電機の役員退職慰労金規定

被告東欧電機は、昭和四九年四月二四日被告扶桑電機の取締役会に引き続き開催した取締役会(出席者は被告扶桑電機の出席者と同じ。)において、被告扶桑電機におけるのと同一内容の役員退職慰労金規定を定めた。右規定によると、原告のように二八年余勤務して退職した場合には、退職時の基本給三〇万円に勤続二八年(一年未満の端数切捨て)の支給率〇・二五七及び年金支給期間一〇年(一二〇か月)を乗じた金額すなわち、九二五万二〇〇〇円の退職慰労金を受領する権利がある。

(三) 被告東欧電機の役員退職慰労金規定による退職慰労金の支給については商法二六九条に定める株主総会の決議があったものと解すべきであること及び被告東欧電機が商法二六九条に定める株主総会の決議がないことを理由に退職慰労金の支払をしないのが信義則違反であることは、被告扶桑電機について述べたのと同様である。

4  被告扶桑電機に対する従業員としての退職金請求

原告は、前記のように昭和一二年三月一五日松下電器へ入社し、昭和二五年一月三一日同社の品川工場閉鎖に伴い昭和二五年二月一日から亀山武雄の経営する扶桑電球製造所へ勤務したが、松下電器と亀山武雄との間の従業員雇傭引継ぎ契約により、退職金支給の年数計算については、亀山武雄が松下電器時代の勤務年数を引き継ぐこととされた。

亀山武雄は、昭和二八年一月六日被告扶桑電機を設立したが、原告は、設立と同時に従業員兼務の取締役となった。被告扶桑電機は、亀山武雄の個人企業である扶桑電球製造所が法人と成ったもので、個人企業当時の従業員の身分や勤続年数は当然に引き継がれた。

原告は、昭和四六年六月一二日に被告扶桑電機の代表取締役となることにより従業員の身分を喪失した。

従って、原告の通算勤続年数は、原告が松下電器へ入社した昭和一二年三月一五日から被告扶桑電機の代表取締役就任までの三四年三か月となる。よって、原告の退職金は、被告扶桑電機の従業員退職規定によると、中途退職日の本給に勤続年数三四年の支給率二四・九〇を乗じた額となるところ、原告の中途退職日の本給は六一万九四六六円であるから、退職金額は、一五四二万四七〇三円となる。

5  被告東欧電機に対する従業員としての退職金請求

原告は、昭和二六年二月一七日被告東欧電機の取締役兼経理担当従業員として入社し、昭和四六年六月一二日に代表取締役就任に伴い従業員の身分を喪失した。原告の被告東欧電機における従業員としての勤続期間は二〇年四か月となる。よって、原告の退職金の額は、被告東欧電機の退職金規定によると、中途退職日の本給に勤続年数二〇年の支給率一四・四〇を乗じた額となるところ、原告の中途退職時の本給は五万円であるから退職金の額は七二万円となる。

6  むすび

よって、原告は、被告らに対し、次のとおり求める。

(一) 被告扶桑電機に対し、役員としての退職慰労金二五八四万六八〇〇円及び従業員としての退職金一五四二万四七〇三円の合計金四一二七万一五〇三円の支払

(二) 被告東欧電機に対し、役員としての退職慰労金九二五万二〇〇〇円及び従業員としての退職金七二万円の合計金九九七万二〇〇〇円の支払

二  請求原因に対する被告らの答弁

1  請求原因第1項(一)、(二)の事実は知らない。同項(三)の事実のうち、亀山武雄が昭和二八年一月六日扶桑電機株式会社を設立し、原告が取締役に就任したこと、同社が昭和三一年一二月に商号変更して現在の商号となったこと、原告が昭和四六年六月一二日被告扶桑電機の代表取締役に就任し、昭和五四年九月二一日に辞任したことは認めるが、原告が被告扶桑電機の取締役に在任中従業員をも兼ねていたことは否認する。同項(四)の事実のうち、被告東欧電機が昭和二六年二月一七日に設立されたことは認める(もっとも、当初の商号は株式会社富士真空製作所であり、昭和二九年一〇月一二日に現商号に変更された)。原告は、昭和二七年六月二〇日に被告東欧電機の取締役に就任して同二九年二月一七日に退任し、同年四月二五日に取締役に就任して同三一年四月二五日に退任し、同三二年四月二〇日に取締役に就任して同三三年六月五日に辞任し、更に同四〇年一〇月一日取締役に就任し、同四三年一月三一日に代表取締役に就任し、同五四年九月二五日に辞任した。

2  請求原因第2項(一)の事実は認める。同(二)の事実のうち、原告の被告扶桑電機退職時の基本給が九〇万五〇〇〇円であったことは認めるが、その余の事実は否認する。同(三)、(四)の主張は争う。

原告が請求する役員の退職慰労金は商法二六九条に定める「報酬」に含まれるが、被告扶桑電機の定款にその額の定めがなく、昭和五五年三月一七日開催の第二七回定時株主総会において、原告が会社の金員を不法に領得した事実が発見されたため、原告に退職慰労金を支給しないとの決議がされた。

3  請求原因第3項(一)については前記1のとおりである。同(二)の事実のうち原告の被告東欧電機退職時の基本給が三〇万円であったことは認めるが、その余の事実は否認する。同(三)の主張は争う。被告東欧電機においても被告扶桑電機におけると同様の理由により昭和五五年四月二三日開催の臨時株主総会において原告に対し退職慰労金を支給しない旨の決議がされた。

4  請求原因第4項のうち、原告の松下電器及び扶桑電球製造所における勤務関係及び松下電器と亀山武雄との間の従業員雇傭引継ぎ契約は知らない。原告が昭和二八年一月六日被告扶桑電機の取締役となったことは認めるが、被告扶桑電機の従業員となったことは否認する。また、被告扶桑電機において松下電器産業株式会社及び扶桑電球製造所に勤務した年数を加算して退職金を計算することとされていたことは否認する。仮りに原告が代表取締役に就任する昭和四六年六月一二日までの間について従業員兼務であったとしてもその間の給与には取締役としての部分が含まれているので、その全額を従業員としての給与であるとみることはできない。原告が代表取締役に就任する直前の取締役報酬をも含めた基本給月額は二七万円であった。

5  請求原因第5項のうち、被告東欧電機における原告の地位は前記1に記載のとおりである。被告東欧電機は、被告扶桑電機で製造した製品等を販売する会社であって、その本店も被告扶桑電機とは離れた目黒区自由が丘にあって、原告は日常その場所に行くこともなく非常勤の取締役であった。原告が被告東欧電機の従業員となったことはない。

三  被告扶桑電機の仮定抗弁

原告が松下電器や扶桑電球製造所に従業員として勤務したことについての退職金を被告扶桑電機が支払うべき義務があると仮定しても、右請求権は、原告が扶桑電球製造所を退職した昭和二八年一月五日から一〇年を経過したことにより、時効により消滅した。

四  抗弁に対する原告の答弁

争う。被告扶桑電機に対する従業員としての退職金請求権は、原告が同被告の代表取締役に就任して従業員の身分を失った昭和四六年六月一二日に発生した。そして、原告は同被告の代表取締役の資格において代表取締役を退任した時に退職金の支払いを受ける取扱いをしたので、代表取締役退任を条件として発生する条件付債権となったから、時効は、原告が代表取締役を辞任した時から進行する。また、被告の時効の援用は、権利濫用である。

第三証拠

証拠関係は、記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  原告の経歴

亀山武雄が昭和二八年一月六日扶桑電機株式会社を設立し、原告が取締役となったこと、同社が昭和三一年一二月に商号変更をして扶桑電機工業株式会社(被告扶桑電機)となったこと、原告が昭和四六年六月一二日被告扶桑電機の代表取締役に就任し、昭和五四年九月二一日に辞任したこと、被告東欧電機が昭和二六年二月一七日に設立されたことは、当事者間に争いがない。

右の争いがない事実に、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

1  原告は、昭和一二年三月一五日松下電器に雇傭され、昭和二二年一二月二五日からは同社の真空製造所品川工場に勤務していたが、同工場は昭和二五年一月三一日に閉鎖された。この工場閉鎖に際し、同社と亀山武雄との間の従業員引継ぎについての契約により、同社の品川工場の従業員は、全員同年一月三一日に同社を退職し、同年二月一日亀山武雄に雇傭されることとなった。原告もこれに伴い、同年一月三一日に同社を退職し、同年二月一日に亀山武雄に雇傭され、同人の経営する扶桑電球製造所の総務課長となった。

2  被告扶桑電機は昭和二八年一月六日設立され(もっとも当初の商号は扶桑電機株式会社であった。)、亀山武雄の個人企業であった扶桑電球製造所の営業及び従業員を引き継いだ。被告扶桑電機の代表取締役には亀山武雄が就任し、原告はその取締役となった。原告は被告扶桑電機において取締役であるとともに設立当初は経理課長となり、その後営業部長、総務部長等に就任した。原告は、昭和四六年六月一二日、被告扶桑電機の代表取締役亀山武雄の死亡の後を受けて、代表取締役に就任し、昭和五四年九月二一日にこれを辞任した。

3  一方、被告東欧電機は昭和二六年二月一七日に設立された(もっとも、当初の商号は、株式会社富士真空製造所であった。)。原告は、昭和二七年六月二〇日被告東欧電機の取締役に就任して、同二九年二月一七日に退任し、同年四月二五日に取締役に就任して同三一年四月二五日に退任し、同三二年四月二〇日に取締役に就任して同三三年六月五日に辞任し、同四〇年一〇月一日取締役に就任し、同四三年一月三一日に代表取締役に就任し、同五四年九月二五日に辞任した。

二  被告らに対する取締役退職慰労金請求について

株式会社の取締役に対する退職慰労金は、その在職中における職務執行の対価として支給されるものである限り、商法二六九条にいう報酬に含まれ、定款又は株主総会の決議によってその金額を定めなければならないものと解するのが相当である(最高裁昭和三八年(オ)第一二〇号同三九年一二月一一日第二小法廷判決・民集一八巻一〇号二一四三頁、最高裁昭和五三年(オ)第一二九九号同五六年五月一一日第二小法廷判決・判例時報一〇〇九号一二四頁参照)。

そして、原告の退任取締役としての退職慰労金について、商法二六九条所定の、退職慰労金支給の可否、支給する場合の金額に関する被告両社の定款又は株主総会の決議の存在については、主張、立証がない。

原告は、請求原因2(三)及び3(三)記載のように、被告両社の取締役会において役員の退職慰労金規定を定めたところ、右取締役会は株主総会の実質を備えていたから、右退職慰労金規定は商法二六九条の趣意に沿った有効なものであると主張する。しかし、仮に原告主張のような退職慰労金規定が定められたとしても、右規定に基づき退職した取締役に対して現実に退職慰労金を支給するためにはその際に株主総会によってその金額を定めなければならないものと解すべきである(前掲最高裁昭和五六年五月一一日判決参照)ところ、そのような株主総会の決議があったことの主張、立証はないから、原告の主張は失当である。

また、原告は、請求原因2(四)及び3(三)記載のように、被告両社のような個人企業の実体を有する会社においては、株主総会の決議がないことを理由に退職慰労金を支払わないことは信義則に反すると主張する。しかし、個人企業の実体を有する会社であるからといって、商法二六九条の適用がないとする根拠はなく、原告の主張は採用できない。

以上のように、原告の被告らに対する退任取締役としての退職慰労金の請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がない。

三  原告の被告扶桑電機に対する従業員としての退職金請求について

1  退任取締役が従業員の地位を兼任していて従業員の地位を失った場合には、従業員に対する退職金の支給規定が存在し、その支給規定に基づき支給されるべき従業員としての退職金部分が明白であれば、この部分に対しては商法二六九条の規定の適用はないと解される。

2  そこで、まず、被告扶桑電機の従業員の退職金規定についてみると、(証拠略)によると、被告扶桑電機には、昭和四〇年二月一五日から施行された従業員退職年金支給規定が存在し、右規定によると、従業員が一定年数以上勤続し、定年到達前に死亡以外の事由により退職したとき(以下「中途退職」という。)は、中途退職の日の本給に退職事由に応じた勤続年数別支給率を乗じた額を中途退職一時金として支給することとされていることが認められ、この認定に反する証拠はない。

3  次に、原告が被告扶桑電機の従業員の地位を兼任していたか否かについて考える。

原告が被告扶桑電機の設立当初からその取締役であったことは前記のとおりである。ところで、株式会社の取締役がその会社の従業員の地位を兼任することができるか否かについて考えてみると、株式会社の代表者又は執行機関のように、事業主体である会社との関係において使用従属の関係に立たない者は従業員ではないが、取締役であっても業務執行権又は代表権を持たない者が工場長、部長等の職にあって賃金を受ける場合には、その限りにおいて従業員であると解される。

そして、(人証略)及び原告本人尋問の結果(第一、二回)によれば、原告は、被告扶桑電機設立と同時に取締役に就任し、同時に経理課長となり、その後営業部長、総務部長、電球製造部長を兼ね、代表取締役亀山武雄の指揮の下にそれぞれの業務を担当したこと、昭和二八年一月から同四六年六月までの間被告扶桑電機は株式会社とはいっても、代表取締役の亀山武雄がその株式の大部分を保有し、株主総会も一回も開かれないという実質的には亀山武雄の個人企業と変りがない企業であり、原告も亀山武雄の指揮命令を受けて営業部長等の職務を遂行していたことが認められ、この認定に反する証拠はないから、原告は、昭和二八年一月六日から代表取締役に就任した昭和四六年六月一二日までの間は、従業員の地位をも有していたと認めるのが相当である。

4  そこで、次に、原告の退職金の額について検討する。

(一)  退職金計算の基礎となる勤続年数について、原告は、松下電器及び扶桑電球製造所における勤務年数も通算されるべきであると主張する。

そして、(証拠略)によれば、松下電器と亀山武雄とは、昭和二五年一月三一日、松下電器の品川工場閉鎖に伴う従業員の亀山武雄への引継ぎについて、松下電器は品川工場の全従業員を同年一月三一日付で退職させ、亀山武雄は翌二月一日付でこれを引続き雇用すること、亀山武雄は松下電器から引き継いだ全従業員の松下電器における勤務年数を引継ぐこと、引き継がれた従業員に対して松下電器は退職慰労金を支給しないこととし、将来右従業員が退職した場合に亀山武雄が支払うこととなる退職慰労金のうち松下電器における勤続年数により計算された退職慰労金相当額については松下電器が亀山武雄に支払うこととしたこと、以上の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。右認定の事実によると、亀山武雄と松下電器とは、退職慰労金の計算については松下電器における勤務期間も含めることとしたうえ、従業員を松下電器から亀山武雄に引き継いだものということができ、この契約のうち、退職慰労金の計算については松下電器における勤務期間も含めることとした部分は、事柄の性質上亀山武雄と引継ぎを受けた従業員との間にも効果が及ぶものと解することができる。

次に、被告扶桑電機が昭和二八年一月六日に設立され、亀山武雄の個人企業であった扶桑電球製造所の営業及び従業員を引き継いだことは前記認定のとおりである。このように個人企業が法人となり、個人企業の営業及び従業員を引き継いだときには、その際に一たん退職金が支払われる等個人企業時代の法律関係が精算されたとみるべき特段の事情のないかぎり、従業員と個人企業との間に存した法律関係はそのまま従業員と法人との間に承継されるものと解するのが相当であるところ、右の特段の事情についての主張、立証はない。従って、退職金算定の基礎となる勤続年数についても個人企業当時のものも通算すべきこととなる。

そうすると、原告のように松下電器に入社し、その後、亀山武雄の個人企業である扶桑電球製造所に引き継がれ、更に被告扶桑電機に引き継がれた従業員については、退職金算定の基礎となる勤続年数は、松下電器及び扶桑電球製造所に勤務していた期間をも含めて計算すべきこととなる。ところで、原告は昭和一二年三月一五日に松下電器に入社し、その後扶桑電球製造所を経て被告扶桑電機に勤務したのであるから、原告の従業員としての退職金算定の基礎となる勤務年数は、松下電器へ入社した昭和一二年三月一五日から、被告扶桑電機の代表取締役に就任したため従業員としての地位を喪失した昭和四六年六月一〇日までの三四年二か月二六日間となる。

(二)  次に、原告が被告扶桑電機の従業員の地位を失った昭和四六年六月一〇日当時の従業員としての賃金の額について検討する。

(証拠略)によると、原告が被告扶桑電機の代表取締役に就任する直前の昭和四六年五月の賃金台帳には、原告の本給二七万円、家族手当二八〇〇円、役員手当五万円合計三二万二八〇〇円と記載されていることが認められ、この認定に反する証拠はない。そして、原告が代表取締役に就任する直前まで従業員兼任の取締役であったことは前記認定のとおりであるから、前記金三二万二八〇〇円の金員は、取締役としての報酬及び従業員としての労働の対償の双方を含んでいたと解するのが相当である。そして、さきに認定したような被告扶桑電機の実体が亀山武雄の個人企業と変りのないものであったこと及び原告の被告扶桑電機における業務の分担並びに前記の賃金台帳の記載を総合すると、前記金三二万二八〇〇円のうち従業員としての賃金の本給は金二七万円であったと認めるのが相当である。

(三)  (証拠略)によると、原告のように三四年二か月二六日間勤務した場合の中途退職一時金の額は、退職時の基本給二七万円に、勤続三四年の係数二四・九〇を乗じた金六七二万三〇〇〇円となることが認められる。

5  次に時効の抗弁について考えると、被告扶桑電機は、原告が松下電器や扶桑電球製造所に勤務したことについての退職金請求権は、原告が扶桑電球製造所を退職した昭和二八年一月五日から一〇年を経過したことにより時効により消滅したと主張する。しかし、前記認定のように被告扶桑電機は、扶桑電球製造所から引き継いだ従業員について、その退職金に関しては松下電器及び扶桑電球製造所における勤務年数を引き継いだものであるから、被告扶桑電機の主張は失当である。

6  よって、原告は被告扶桑電機に対して金六七二万三〇〇〇円の退職金請求権を有することとなる。

四  原告の被告東欧電機に対する従業員としての退職金請求について

1  退任取締役が従業員としての地位を兼任していて従業員の地位を失った場合には、従業員に対する退職金の支給規定が存在し、その支給規定に基づき支給されるべき従業員としての退職金部分が明白であれば、この部分に対しては商法二六九条の規定の適用がないと解すべきことは前記三の1で述べたとおりである。

2  そこで、原告が被告東欧電機の従業員の地位を兼任していたか否かについて考える。

原告の被告東欧電機における経歴は前記一に認定したとおりであり、これによると、原告は、被告東欧電機において取締役への就任、辞任を繰り返し、昭和四三年一月三一日に被告東欧電機の代表取締役に就任しているから、それ以前の原告の被告東欧電機における地位が問題となる。

(人証略)及び原告本人尋問の結果(第二回)によれば、被告東欧電機は、昭和四三年当時その株式の大部分を被告扶桑電機及び亀山武雄が保有していたこと、被告東欧電機は被告扶桑電機において製造した製品を販売することを主たる業務とし、従業員は相互に出向することもあり、役員は兼務するものも多いという関係にあったこと、被告東欧電機の実権は被告扶桑電機の代表取締役の亀山武雄が有しており、事実上は、被告扶桑電機と被告東欧電機とは一体として事業が行われていたこと、原告は被告扶桑電機の従業員兼務の取締役であるかたわら、被告東欧電機の経理関係の業務を担当していたが、被告扶桑電機の事務所に常駐し、被告東欧電機の事務所へ来るのは、年に数回といった程度にすぎないこと、原告は昭和四三年二月までは東欧電機からは給与ないし報酬は支給されておらず、昭和四三年三月から一か月五万円の支給を受けるようになったこと、以上の事実を認めることができ、この認定に反する原告本人尋問の結果(第二回)は信用できず、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。右の認定事実によると、原告は、被告東欧電機の代表取締役に就任する昭和四三年一月三一日以前は非常勤の役員ないし従業員であって無報酬であったと認められるから、従業員としての退職金の請求権を有しないものというべきである。

五  むすび

よって、原告の本訴請求は、被告扶桑電機に対して従業員としての退職金六七二万三〇〇〇円の支払を求める限度で理由があるから認容し、被告扶桑電機に対するその余の請求及び被告東欧電機に対する請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 今井功)

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